昭和51年当時、前年に全廃された国鉄蒸機に代って、旧型電気機関車がファンの間でもてはやされるようになりました。雑誌の記事などを見てとりあえず近場の青梅線に撮影に行った時の写真です。ほぼ1時間ごとに走る石灰石輸送の貨物列車はここでしか見られないED16の独壇場、電車は73系を中心に時折101系が顔を出す、といった状況でした。更に7年ほど前、中学生の頃に青梅鉄道公園に行ったときは17m級電車が活躍していた記憶もあります。
全て1976年4月27日撮影

2000年8月26日作成

終点奥多摩駅で並んで発車を待つ14号機と3号機の牽引する列車。左の14号機の列車は間もなくの出発、右の列車は約1時間後の出発となる。
上の14号機牽引列車が行ってしまった後の奥多摩駅。昼休みの職員がキャッチボールに興じていた。春の日の昼下がりの情景。
奥多摩駅の手前で発車したばかりの貨物列車を捉える。14号機はスノープローを装備していた。
続いて発車した3号機牽引の貨物列車。この時代はちゃんと車掌車を連結していた。古里駅付近の散りかけた桜並木に沿って走る。
古里駅付近を奥多摩に向かう下り貨物列車。5号機牽引のこの列車は石灰石列車ではなかった。
有名な軍畑の鉄橋を渡る下り貨物列車。先程上り列車を牽引して行った3号機が戻ってきた。
古里駅付近を走る下り普通電車。原形のクハ79を先頭にした編成。当時の国鉄は昼間はヘッドライトを消すのが通常だったが、青梅線はトンネルが多いためか常時点灯している列車が多かった。
古里駅に到着する下り普通電車。原形クハ79だが前面固定窓がHゴム支持に改造されている。上り側先頭のクモハ73形はモハ72の改造車が多く、写真写りが悪かった。