70年代後半当時、西武鉄道では元国鉄その他の輸入電気機関車を多種揃えて実用に供していました。当時は電車も元国電やその部品を利用した車両が多く、良く言えば物を大切にする、悪く言えばケチな鉄道、というイメージがありました。今日のように純然たる新車を次々に投入しているのを見ると隔世の感がします。貴重な電気機関車を折に触れて撮影しましたが、今考えると近い場所であったのになぜもっと多く訪ねなかったのか悔やまれます。
1975年5月1日、1976年1月23日、1977年3月7日撮影
2002年3月24日製作

まずご覧いただくのは新型機E851形です。堂々たるF級機でデザインは優雅ということで人気がありましたが、私自身は余り興味が湧かずおざなりの撮影しかしていません。旧型機の列車を待っている間に撮影したものです。西所沢、小手指間

昭和50年5月1日撮影

旧型機を形式番号順にご覧いただくと最初はE21形E22号です。昭和3年川崎造船製造の国産で名鉄や小田急に同形機がいることは良く知られているところです。旧武蔵野鉄道から西武鉄道に引き継がれた生え抜きとして活躍を続けていました。石神井公園駅

昭和51年1月23日撮影

次はイギリス製E41形E42号です。E41形は4両有りましたがこの42号は41号とともに旧青梅鉄道からの移籍車で昭和2年の製造です。4両それぞれに細部の形態が異なりますが所沢の車庫の隅にいつも数両置かれていたのが思い出されます。西所沢、小手指間

昭和50年5月1日撮影

旧型機の中で一番人気があったと思われるスイス製のE51形E51号です。元々数が少ないスイス製電気機関車の生き残りとして貴重でした。独特の形状が改造等で損なわれていないことが嬉しいですね。西所沢、小手指間

昭和50年5月1日撮影

所沢へ戻るともう1両のE52号が停車しており、跨線橋の途中から特徴ある屋根上のエアタンクを見ることが出来ました。大正12年製とは思えない美しさを保っていました。所沢駅

昭和50年5月1日撮影

次はアメリカ製のE61形E61号でこの形式はこの1両だけでした。元国鉄のED11形で2両あったうちのもう1両は国鉄浜松工場で入換えをやっていました。個人的には西武の旧型機中最も好ましく感じていますが見たのも写したのもこの時だけとなりました。武蔵藤沢、稲荷山公園間

昭和52年3月7日撮影

最後はこれもアメリカ製でただ1両のE71形E71号です。最も古く大正11年の製造ですから驚きです。本線の貨物列車を牽いて山を登り武蔵横手まで行っていました。武蔵藤沢、稲荷山公園間

昭和52年3月7日撮影

上の列車は飯能で長時間停車するため電車で先回りして2回撮影することが出来ました。飯能はスイッチバック配線のため向きが変わっています。大学卒業を控えた長閑な早春の撮影だったことやこの後秩父でやはりアメリカ製のデキ1を写してレッドアローで帰ったことなど思い出されます。 東吾野、吾野間

昭和52年3月7日撮影