土佐電鉄高知市内線は大学4年の夏合宿で初めて訪れました。車両は現在とあまり変化がありませんが、冷房化は未だ先の事です。東西の路線は距離も長く、多彩な機能を果たして町にとけ込んだ印象を持ちましたが現在はどうなのでしょうか。
1976年8月24、25、26日撮影
2007年1月8日製作

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急行「土佐」で到着後、早速駅前の終点で撮影した200形です。高知駅前

昭和51年8月24日撮影

次に目指したのは、はりまや橋交差点です。600形。はりまや橋

昭和51年8月24日撮影

手前は桟橋線の200形、向こうは本線の600形。乗り換え客で賑わっていました。200形は窓全開です。右の2個はスピーカーと方向幕のため嵌め殺しです。はりまや橋

昭和51年8月24日撮影

600形は総括制御仕様ですがこの時は連結運転は見られませんでした。降車客が信号の変わるのを待つ安全地帯での撮影です。はりまや橋

昭和51年8月24日撮影

元山陽電軌の800形は小倉在住時に下関でよく見ましたが撮影の機会は無く、ここで初めて撮影が出来ました。前面窓ガラスが隅まで来ているのが下関時代から気に入っていました。はりまや橋

昭和51年8月24日撮影

その800形に乗り知寄町車庫前まで来ました。後免町まで行かない電車はここで折り返しです。知寄町

昭和51年8月24日撮影

知寄町の先にある川を渡る鉄橋です。後免町からの電車は市街を西に抜けた鏡川橋で折り返しとなります。700形も800形と同じく山陽電軌からの移籍車です。知寄町三丁目、葛島橋東詰間

昭和51年8月24日撮影

上の写真を撮影した歩道橋から逆の市内方面を見たところです。手前の電停が知寄町三丁目、その先が知寄町で右手に車庫があります。知寄町三丁目、葛島橋東詰間

昭和51年8月24日撮影

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