東北本線交流電化当初から活躍を続けたED71形がこの頃終焉を迎えていました。考えてみると当時の車齢20年程度、高度成長期の輸送を支え余力を残した引退でした。今も使用されているED75形が車齢30年を超えていることを考えると初期交流電化技術が未熟であったことが伺えます。正面平面ガラス窓、一つ目ライトの箱形電機デザインは、私の嗜好に合致したもので三度にわたり充分な撮影が出来て良かったと思っていますが、停車中の形式写真を撮らなかったのが心残りです。また、この頃は社会人としては下積みの時代であり若くもあったので何かと忙しく、写真も撮りっぱなしで正確な日付や場所の記録が無いのが残念です。
1977年9月、1978年9月、1980年4月撮影
2003年10月12日製作

友人の車で東北道を夜行し早朝金谷川に着きました。濃い朝霧が出ていたのは予定外でしたが上り急行「津軽2号」を牽く姿を捉えました。南福島、金谷川間

昭和52年9月撮影

陽が高くなると霧も晴れて絶好の撮影日和となりました。下り貨物列車ですが、次位の機関車が白っぽいのは当時盛んだった労働運動のアジ文字が書かれていたのを乱暴に消した跡です。貝田、越河間

昭和52年9月撮影

翌年同じ時期に同じ友人と出掛けました。単機牽引の貨物列車は少数派です。上りか下りかも場所もよく判りません。黒磯と白河の間のどこかです。

昭和53年9月撮影

45号以降の最終ロットが先頭ですが、側面のデザインの特徴が失われてED71らしさが感じられません。田の字形窓配置の野暮ったさがこの形式の魅力ですね。ライトの改造も感心しません。上と同じく黒磯と白河の間のどこかです。

昭和53年9月撮影

最後の撮影は新幹線開業も見えてきた55年春、またまた同じ友人と車で出掛けました。早朝現地着、まず大河原の有名撮影地に行きました。単機牽引の上り貨物列車です。大河原、船岡間

昭和55年4月撮影

同じ場所での下り貨物列車です。私自身は桜と列車を絡めて撮影したことはあまりありません。大河原、船岡間

昭和55年4月撮影

混載貨物牽引が主体のように思えましたが、このようにコンテナ列車の牽引もありました。次位のカマは検査上がりらしくピカピカです。上り列車が越河駅に入るところだと思いますが、違っていたらご指摘下さい。

昭和55年4月撮影

もちろん客車牽引もありました。上り列車が県境の山を越えて福島盆地に出たところです。それにしてもこのヘッドライトは興ざめです。藤田、桑折間

昭和55年4月撮影