大学鉄研の四国夏合宿へは紀勢線回りで参加しましたが、その際の急ぎ足での立ち寄りが唯一の有田鉄道訪問となりました。ロケハンをしながら乗車しましたが、沿線は全て蜜柑畑といった状況で開けた場所が見つからなかったことを覚えています。仕方なく終点の金谷口駅付近での撮影となりました。訪問当時は富士急から来た3両のキハ58が全てでしたが、休車となって間もないキハ07形2両が現役さながらの姿で撮影出来たのは幸運でした。
全て1976年8月22日撮影
2007年9月23日製作

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名産の紀州蜜柑出荷輸送用のDB20ですが、8月はシーズンオフなのか藤波駅構内に留置されていました。藤波駅
当時の主力は元富士急のキハ58000形で、日中はもっぱら両運転台のこの003が往復していました。私が乗ったのもこの車両でした。以下の写真は全て金屋口駅で撮影
折り返し藤波へ向かって発車したキハ58003です。線路規格に対してアンバランスな感じは否めません。
金屋口車庫の全景です。富士急車入線までの主力だったキハ07形2両が留置されていました。
右は片運転台のキハ58001と002の2両編成で、平日の通学輸送時に使用していたようです。機関を1台降ろして実質キハ28になっていたとか聞いた記憶があります。
元国鉄のキハ07ですが、国鉄時代にトルコン、総括制御改造済で混雑時は2連で運転したそうです。
戦後形キハ07の原型を良く残しています。これが走っている時に行きたかった。
同じく金屋口に留置されていた休車のキハ250です。山鹿温泉鉄道の注文流れ品を新車で購入したものです。