内房線は既に電化されていましたが、私が千葉に移転して間も無い昭和47年7月15日、外房線が電化され房総半島を一周する鉄道の電化が完成しました。この時同時に総武快速線と東京地下駅が開業し、房総西線が内房線に、房総東線が外房線に改称されました。外房線電化完成の直前の様子をご覧いただきます。北総四線(総武、成田、東金、鹿島)の電化は更に3年後となります。
1972年6月25日、7月13日撮影
2001年12月29日製作

千葉駅6番線(房総東線発着)で発車待ちのキハ45他の気動車列車です。ホームの柱には新登場の房総特急183系をデザインした電化完成のポップが取り付けられています。手前は万葉軒の駅弁売店でまだ立ち売りもあったため立ち売り用のカゴも見えます。千葉駅

昭和47年7月13日

1日に2往復くらい運転されていた中野、木更津間の101系による快速電車です。国電区間は唯の複線ですのでなかなか追い越しも出来ずにトロトロ走っていたような記憶があります。中野、成田間にも運転されていましたが、この2日後からは総武快速線開業により113系快速が1時間ごとに木更津、君津へ走るようになりました。房総西線蘇我、浜野間

昭和47年7月13日

キハ26を先頭にした房総東線の急行「そと房」です。電化により165系電車化され、名称も「なぎさ」「みさき」となり内房線相互直通で半島を一周する運転系統となりました。房総東線蘇我、鎌取間

昭和47年7月13日

既に165系電車化されていた房総西線の急行「うち房」です。車両は同じですが名称が「なぎさ」「みさき」となり半島一周系統になりました。同時に新型183系による特急列車も走るようになり、急行が最優等列車ではなくなりました。房総西線蘇我、浜野間

昭和47年7月13日

気動車王国と言われた房総線の気動車もあと1日を残すのみとなりました。キハ19改造のキユニ19を先頭にした房総東線上り列車です。キハ10系、35系など千葉をイメージ付ける車両で編成されています。房総東線蘇我、鎌取間

昭和47年7月13日

上の列車の最後尾には千葉のために作られたステンレス車体のキハ35形900番代が連結されていました。当時は既に正面窓下にオレンジ色の警戒色が塗られていました。房総東線蘇我、鎌取間

昭和47年7月13日

外房電化プロジェクトの一環で移転により線路配置を改良した大網駅ですが一足先に完成して営業を開始していました。新駅に到着するキユニ19とキハ35系による房総東線上り列車です。大網駅

昭和47年6月25日

新駅完成により廃止された旧大網駅です。線路の撤去が始まっていますが一番左の線路は東金線の本線として使用されます。新駅側から東金方面を望んだところです。

昭和47年6月25日