昭和46年4月、高校2年になった時から総武本線沿線に住んでいます。当時千葉から佐倉、成田線成田まで電化が完成していましたが、成田行以外は気動車またはDE10牽引の客車列車でした。気動車王国と言われた千葉地区気動車の最後の活躍を目の当たりにしていたことになります。ここの特徴は勾配が少ないため2機関搭載車が極端に少なかったことと20系の配置がなかったことです。2機関搭載車は当時キハ55が数両いただけで急行用の58系もキハは28形のみでした。また、各地の気動車列車に見られたデコボコ編成も一般的に見られました。ここでは最後の3年間に撮影した写真をご覧いただきます。
1972年1月から1975年3月撮影
2004年1月4日製作

キハ17+18+16という見事な編成も稀に見ることができました。ただしこの頃になるとヘッドライトや台車に改造が加えられ近くで見ると粗が目立ちます。銚子支区

昭和47年3月28日撮影

佐倉の東側で総武本線と成田線(当時どちらも単線)が並行しますが、佐倉で併結する急行同志の並びを狙ってみました。結果はご覧の通り、後から入る成田線「水郷」が信号で止められている間に総武本線「犬吠」が先に行ってしまいました。佐倉、南酒々井・酒々井間

昭和47年5月3日撮影

デコボコ編成の一例ですが10系が入っていないので断面は揃っています。このような編成ではやはり35系が一番空いているのが常でした。下り列車、四街道、物井間

昭和47年7月13日撮影

千葉駅7番線から千葉気動車区に引き上げるデコボコ編成です。ステンレス車体のキハ35は当時全車が千葉に配置されていたと思います。国電区間も津田沼、千葉間の複々線が未完成で千葉駅の9・10番線ホームはまだ有りませんでした。

昭和47年7月23日撮影

ローカル列車は最初の写真のような編成よりこのような編成がむしろ一般的でした。上り列車、四街道、物井間

昭和48年4月29日撮影

電化直前は急行列車の編成も乱れてきました。ヘッドマークも省略されることが多くなりました。キハ45が2両入った上り「水郷」です。四街道、物井間

昭和49年12月撮影

中にはこのように急行形で揃えた編成もありましたが、キハ26が何両か入っています。「水郷」「犬吠」併結の10両編成下り列車。次の停車駅佐倉で分割です。四街道、物井間

昭和50年3月撮影

電化開業前日の撮影です。配置全系列を網羅した見事なデコボコ編成を見せてくれた下り列車です。この日は気動車最終日をアピールするマーク付き列車も運転されました。四街道、物井間

昭和50年3月9日撮影