豊田市在住の中学生時代、千葉移転後の高校生時代に豊田の友人を訪ねる途中の2回だけ電化前の中央西線を撮影することが出来ました。未熟な時代故に大した写真がありません。中央西線は私の個人的な意識の中で最も「日本の鉄道」というイメージを具体化しているとの感がします。川、山、家、耕地、橋、ダムなどが調和して醸し出すおおらかな雰囲気が大好きですが、今は魅力的な車両が走っておらず撮影意欲が湧かないのが残念です。
1969年10月中旬、1971年12月28日撮影
2003年8月30日製作

中津川、落合川間はちょっとした峠になっていてほとんどの貨物列車に後補機が付きました。これは補機の単機回送シーンです。手前に複線化のための橋脚を作っているのが見えます。中津川、落合川間

昭和44年10月中旬撮影

落合川を発車した下り普通列車ですが、この列車は荷物車の後に客車が続き最後尾に回送の気動車2両が連結された変わり種列車として有名でした。落合川の北は複線化が完了していました。落合川、坂下間

昭和44年10月中旬撮影

上と同じ場所を別のアングルから見たところで木曾川のダム湖が広がっており、足下はトンネルになっています。下り貨物列車ですが2両目には無火のC58が連結されていました。落合川、坂下間

昭和44年10月中旬撮影

2年後の冬休みに豊田市の友人を訪ねる際は、新宿から臨時の夜行アルプスに乗り中央西線経由で撮影しながら行きました。山あいの12月の夜明けは遅く、木曾平沢で下車したときはまだ充分な明るさがありませんでしたが、後補機を付けた上り貨物列車を撮影しました。木曽平沢、奈良井間

昭和46年12月28日撮影

上の列車の後補機が通過して行きます。拙い写真ですが迫力だけは感じていただけるでしょうか。木曽平沢、奈良井間

昭和46年12月28日撮影

上松へ移動したころにはすっかり陽が高くなっていました。名勝寝覚ノ床を行く上り特急「しなの」です。既に電化用のポールが立ち並んでいます。上松、倉本間

昭和46年12月28日撮影

2年前の記憶が新しい落合川に降りたときは暮の太陽は既に傾き始めていました。既存の線路を使った上り線を名古屋に向かう急行「赤倉」です。電化後も気動車で運転されていましたが、全行程電化区間を走る気動車急行という変な存在となりました。坂下、落合川間

昭和46年12月28日撮影

この時は旅客列車はDL化され、貨物列車のみSL牽引で残っていました。夕陽の逆光の中を発車する下り列車です。これが私が本線の現役大型SLを実見した最後のシーンとなりました。(支線も含めれば明智線のC12が最後です。)落合川駅

昭和46年12月28日撮影