1995年春、知人に誘われて以前から興味のあった北朝鮮を旅行しました。旅行そのものは完全ガイド付きで向こうの見せたいものだけ見せられるものでそれなりの面白さはありましたが好奇心が満たされるものではありませんでした。しかし、帰路ほ平壌から北京まで列車で向かい、北京から空路帰国するコースで、このことがあったからこの旅行に参加したと言っても過言ではありません。慇懃無礼(と言ってしまっては酷だが)なガイド達と平壌駅で別れた後は車窓、車内で興味が尽きず北京までの23時間がとても短く感じられました。通った線区は今南北連絡鉄道として復元工事の始まった京義線の北半部です。
1995年5月5日撮影
2001年2月18日製作

平壌を昼前に発車する国際連絡列車。前から北京行きの荷物車1両、寝台車2両、モスクワ行き寝台車2両、以下国境の新義州行き客車が10両位の編成で平壌駅ホームに停車中のところ。我々は3両目の北京行き軟臥車に乗車しました。
モスクワ行きと新義州行きの客車の中間には北朝鮮の食堂車が連結されており、発車後昼食を摂りましたが、その食材を運搬中の情景です。平壌駅ホームはご覧のように広大で、中央奥に見えるようにVIPは乗用車で直接乗り付けることができます。天井にはおなじみのスローガン(朝鮮労働党万歳、金日成主席万歳など)が見えます。
平壌出発後は興奮の連続。新安州で見た狭軌の電気機関車です。
ついに登場した蒸気機関車。バリバリの現役です。旧満鉄のミカイ形のようですが朝鮮戦争の時に中国から援助されたものでしょうか。奥のクレーンは石炭積載用ですがこれも蒸気動力です。定州にて。
窓ガラスが汚れているのが残念ですが、通過する車窓から撮り続けました。あらゆるところが歪んでいますが廃車体ではありません。
宣州停車中のホームの情景です。本線の電化率は高く、この電気機関車は至る所で見られました。蒸機同様にどことなく歪んでいるような感じです。
宣州駅で見掛けた客車ですが、明らかに日本時代の朝鮮鉄道の客車の成れの果てです。手前の2両は昭和13年製の元ハ9形三等車のようです。走っているのは見ませんでしたが、物持ちの良いお国柄ゆえたぶん現役でしょう。
上の編成の左端の客車です。こちらは旧満鉄の大正14年製ハネ2形三等寝台車のようです。こんなところで憧れの旧満鉄車両に出会えたことに複雑な感慨があります。