大学の鉄研では毎年初夏に新入生歓迎ハイキングと称して撮影に行っていました。この年は新車投入の話題に釣られて富士急を訪れ、三つ峠で下車し暮地まで歩いてハイキングの名目を立てました。3100形の暴走脱線事故は当時記憶に新しく、歩きながら現場を特定しようと思いましたが判りませんでした。富士吉田の車庫にその事故車が留置してあったのが印象に残っています。
全て1975年6月6日撮影
2003年12月14日製作

大月駅に進入してくる列車です。オリジナル車両のクハ3660形とモハ3630形の2両編成を二組使用しています。扉配置が非対称だったり腰が高かったりで格好の良い電車ではありません。大月駅
歩き出して最初に来たのが当線の元エース3100形でした。例の事故で一編成が廃車され、この一編成のみ残っていました。昭和30年代初期の典型的デザインと言えます。三つ峠、暮地間
3100形に代り新しいエースとなった5000形で今回の撮影会の目的でもありました。良いデザインで当時話題になりましたが、私は3100形の方がしっくりと来ます。三つ峠、暮地間
一番目の写真と同じ編成ですが、モハが先頭の反対側です。クハよりは整った顔つきです。三つ峠、暮地間
国鉄払い下げのクハ16とクモハ14による編成で、ここではクハ7060形とモハ7030形となります。モハ7030は元横須賀線の2扉クロスシート車モハ32形で当時ここ富士急に2両が残るだけだったと思います。三つ峠、暮地間
暮地駅にたどり着き河口湖方面行き電車を待つ間に通過した大月行きの後部です。同じモハ7030形ですがこの1両は3扉の元国鉄クモハ12形です。編成としてはこちらの方が揃っていますが、希少価値はありませんでした。暮地駅
元をただせばモハ3630形と同じ旧モハ500形ですが、荷電となったモニ100形です。貨物があるときは貨車を牽引して走っていたようです。富士吉田車庫
大月に戻り、帰りの中央線に乗り換えの際跨線橋から眺めた富士急ホームの様子で、電車は両運転台のモハ3600形です。帰りは70系と72系混結の列車に乗った記憶があります。大月駅