今は阪堺電気軌道となりましたが、訪問当時は南海電鉄の経営で緑色のモ205形が最後の活躍をしていました。パンタではなく1本棒の集電装置や三角帽子の尾灯を装備した車体もあったようですが、限られた訪問時間では見る事が出来ませんでした。この2回の後にも80年代に立ち寄りましたが、広告塗装等で興味が半減してしまいました。
1973年3月中旬、1975年9月11日撮影
2006年4月16日製作

天王寺から乗車し2線が交差している住吉で下車しました。早速目的のモ205形に出会えました。住吉

昭和48年3月中旬撮影

モ205形同士の出会いです。この頃の路面電車はどこも利用者が結構ありました。住吉

昭和48年3月中旬撮影

モ205形は車体は同じでも鋼体化改造車のため出自が様々であることが台車の相違から伺えます。住吉

昭和48年3月中旬撮影

車体の大きい3扉車も活躍していました。モ301形は151形161形と同形で数多く見られました。住吉

昭和48年3月中旬撮影

モ501形は戦後新造の近代的な電車でした。503号が逆番号の301形305号と並んだところです。

昭和48年3月中旬撮影

木造車改造でモ501形と同じ車体を持つモ351形です。このあと住吉公園から南海本線に乗車しました。

昭和48年3月中旬撮影

2年後の再訪時は帝塚山4丁目で下車し専用軌道区間での撮影を楽しみました。2年前に写した303号が高野線をオーバークロスする橋梁を渡るところです。帝塚山4丁目、神ノ木間

昭和50年9月11日撮影

同じ場所から逆の住吉方面を見たところです。これも2年前に写した354号です。帝塚山4丁目、神ノ木間

昭和50年9月11日撮影