近県の鉄道はどうしても後回しとなり、初めて訪問したのは昭和53年でしたが名物ケハ601やキハ1002は現役、またキハ05系休車体なども見られました。二度目は海水浴の途中で立ち寄っただけですが最近国鉄色復活で話題になったキハ10や北海道からのキハ22が活躍していました。今でも中々見どころが多い鉄道ですので時々訪問したいと思っています。
1978年11月下旬、1985年7月下旬撮影
2003年8月3日製作

常磐線との乗換駅勝田の様子です。国鉄もまだ客車列車の時代です。この時は右側の列車に乗ったのですが、DLが貨車とDCを牽く混合列車でした。

昭和53年11月下旬撮影

途中の那珂湊は車庫も有り当線の中心です。羽幌炭鉱鉄道をはじめ昭和40年代に廃止となった北海道の炭鉱鉄道からの譲渡車が主力を占めていました。

昭和53年11月下旬撮影

那珂湊の車庫で憩うケキ102と103の同形機コンビです。新潟鉄工製ロッド式で津軽鉄道DD351形と同型です。2両で運転台窓が異なる点も同じです。非電化ローカル私鉄の味わいが凝縮された車両と思います。

昭和53年11月下旬撮影

終点近くを走る元羽幌炭鉱鉄道キハ22形で3両譲受しその色が茨城交通の標準色となってしまいました。最近この色に戻されて活躍したのは記憶に新しいところです。磯崎、阿字ケ浦間

昭和53年11月下旬撮影

終点の阿字ケ浦駅の様子です。蒸気時代の給水タンクもあり、広い構内は海水浴国鉄直通臨時列車に備えたもので、この頃はまだ運転されていたと思います。車両は日本初のステンレス車体気動車として有名なケハ601です。

昭和53年11月下旬撮影

7年後、標準塗装色はこのように変わっていました。車両はキハ22形ですが上の写真と比べるとタイフォンの位置が変更されたのが判ります。夏空の下、窓を全開して走る列車も今や少なくなりました。涼しげな感じがします。中根付近

昭和60年7月下旬撮影

元国鉄キハ10形の2両編成です。この頃国鉄線上にキハ10系は既になく、貴重な生き残りでした。後に国鉄色(旧色までも)が復元されるなど全く想像できませんでした。中根付近

昭和60年7月下旬撮影

同じ列車が折り返して来たところを別の角度で捉えました。この辺り今も余り変わっていないようです。中根付近

昭和60年7月下旬撮影