板谷峠は言うまでもなく国鉄有数の急勾配区間で専用の補機や連続するスイッチバックで克服して来ました。直流時代は間に合いませんでしたが、交流化後広軌化まで結構な回数訪問しています。ここでは新型電車や50系客車以外の写真をご覧いただこうと思います。
1975年9月1日、1977年10月、1978年11月、1984年7月撮影
2003年11月23日製作

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最初の訪問は昭和50年鉄研青森夏合宿の帰路でした。急行気動車列車は変速ギヤシフトを維持して低速で這うように勾配を登っていました。多分「おが1号」です。赤岩駅駅前での撮影です。当駅のように本屋を出てもどこにも行く道がない駅もあることを初めて知りました。庭坂、赤岩間

昭和50年9月1日撮影

赤岩から道なき道を鉄橋の方へ歩いて上り普通列車を撮影しました。庭坂、赤岩間

昭和50年9月1日撮影

振り向いて後打ちです。鉄橋を渡る車内には開いた窓から涼風が舞い込み乗客を喜ばせているのでしょう。庭坂、赤岩間

昭和50年9月1日撮影

同じ松川鉄橋を渡るキハ181系の上り特急「つばさ」です。この頃は補機付きで運転していました。庭坂、赤岩間

昭和50年9月1日撮影

赤岩駅の駅前で撮影した下り普通列車です。この後スイッチバックに入り後進して左上に見えるホームに入ります。庭坂、赤岩間

昭和50年9月1日撮影

峠駅へ列車で移動しました。この駅も駅前には踏み分け道しかなく、それを下ると一段低い本線に出ることが出来ました。そこで捉えた上り普通列車です。大沢、峠間

昭和50年9月1日撮影

同じ場所で撮影したキハ181系下り特急「つばさ」です。右の斜面の上が峠駅構内となります。大沢、峠間

昭和50年9月1日撮影

峠駅に進入する下り列車です。この列車に乗って米沢へ出て泊まったように憶えています。左が駅本屋を経て本線へ、右に力餅の店があります。列車が出てくる屋根はスイッチバックのポイントを覆う雪よけです。峠駅

昭和50年9月1日撮影

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