最南端の私鉄ですから行くのが大変です。廃止になるまで2回しか行けませんでした。私が訪問したのは廃止も近づいた昭和50年代前半ですが、車両は戦後自社で発注したキハ07タイプとキハ10タイプが活躍していました。また、途中の車庫がある加世田には過去に使用した蒸気機関車、木造客車、気動車などが放置され朽ちつつありました。乗ってみると使用中の線路は草茫々、駅舎も無人駅は廃虚同然といった有り様でかなり驚きましたが、確実な運行は確保されていました。キハ07タイプも液体式なのに総括制御不能だったり、エアで出入りするステップなど外観はキハ07でも他で見るものと比べて特徴がありました。それにしてもあの塗色だけはどうしても好きになれませんでした。
1976年3月14日、1978年7月中旬撮影
2002年7月13日製作

最初の出会いは西鹿児島から指宿枕崎線列車で着いた終点の接続駅枕崎でした。接続が悪く、かなり待たされた憶えがあります。枕崎駅

昭和51年3月14日撮影

上と同じ場面を反対側から見たところです。こちらの方が先の撮影で、私の乗って来た国鉄列車が向こうに止まっています。これはすぐに折り返しで出発して行きました。3月なのにキハ17系の窓が開いているのも南国情緒です。枕崎

昭和51年3月14日撮影

枕崎から乗って加世田で途中下車してみました。乗って来た列車が伊集院目指して加世田を発車するところです。左奥の機関庫の横に蒸気機関車が放置してありました。右には木造客車の放置車体も見えます。加世田

昭和51年3月14日撮影

上の写真からはホームを挟んで対角線の位置になる場所で機関庫を覗いてみました。キハ10タイプは鹿児島本線に乗り入れて西鹿児島まで行く運用に使用されており、この後その列車で西鹿児島まで戻りました。加世田

昭和51年3月14日撮影

二度目の訪問は生憎の雨模様となってしまいました。夜行急行「かいもん」を伊集院で下車し日置までの往復となり、全線の乗車はしませんでした。朝なので通勤通学の乗客で賑わっています。雨を除けて駅の改札口からの撮影です。この日置は交換可能駅で人家も多くあり加世田の次に乗降が多いものと思います。日置

昭和53年7月中旬撮影

草茫々の日置駅構内です。伊集院に向けて発車する列車が写っていなければ廃線跡に見えてしまいます。日置

昭和53年7月中旬撮影

直通の西鹿児島行きが入って来ました。この列車に乗車して伊集院に戻りました。上の写真にも写っていますが、蒸気機関車時代の山越えに備えた給水設備が残っており、給水タンクが左に見えます。日置

昭和53年7月中旬撮影

後ろに連結されたキユニは社線内の運用で伊集院で切り離し、キハ10タイプのみが単行で国鉄線を西鹿児島まで走ります。この時まだ荷物扱いを行っていたことが判ります。伊集院

昭和53年7月中旬撮影