愛知県在住の中学生時代、手近な関西本線に蒸気機関車が走っていました。形式は当時どこでも見られて珍しくもないC57とD51でしたが、火の粉止めや集煙装置のないシンプルな外観は好感の持てるものでした。旅客列車を牽く名古屋区のC57はナンバープレートに赤が入れてありましたが、それまで見慣れた北九州のカマに比べると全体に煤けた印象を感じました。また、勾配がほとんど無いため煙は駅の発車くらいしか期待できませんでした。ご覧いただく写真は私が生まれたときに父が購入したマミヤシックスで撮影したものです。この年の10月に旅客列車が無煙化、翌年貨物列車もディーゼル化されてしまいました。
1969年5月3日(上6枚)、1969年9月(下2枚)撮影
2000年11月4日製作

永和駅を発車したD51の2号機牽引の下り貨物列車。前部連結器が電柱に掛かってしまったのが残念。まだ「ハエタタキ」が現役である。撮影時点で2号機が稲沢区にいることを知らなかったので見たときは驚いた。最近大阪の交通科学博物館で再会した。
同じく永和駅を出て弥富へ向かう下り貨物列車。牽引機はテンダーのシルエットで判るようにD51の戦時型である。
C57の83号機。九州からの転属で門鉄デフが特徴。上り旅客列車を牽いて永和駅に到着するところ。
C5780に牽かれて永和駅を発車した下り旅客列車。発車直後にもかかわらず煙が少なく迫力に欠ける。重油併燃だからだろうか。
C5723に牽かれて永和駅を発車した下り旅客列車。重油併燃装置が無いためか上の写真より良い煙が出ている。
本数的には少ないが時々やって来る気動車列車。当時はついでに写したものだが今見るともはや貴重な被写体であり、何でも写しておくものだと痛感する。しかし、今現在の車両に対してもこの理屈が当てはまるのかは疑問である。キハ16+キハ25の上り列車。キハ25はバス窓の1次形。
いよいよ終わりという9月、カラーフィルムを奮発して撮影したもの。蟹江から八田に向かう上り列車で庄内川の堤防から撮影しておりこれから鉄橋を渡るところ。
お気に入りの83号機だがピントが合っていない。ファインダーでは会っているのだがマミヤシックスの欠点であるフィルム平面性の問題が露呈したもので残念だ。それでも九州時代の排煙濃度表の取り付け足や長野時代に施工された門鉄デフの補強などが判る。