昨年からの二度の事故によって一時は命運を断たれたかと思いきや、第三セクターでの存続が浮上するなど動向から目が放せない京福福井支社です。最近の車両はともかく、渋い駅舎などの行く末が気になります。ここでは70から80年代に訪ねた当線の様子をご覧いただきたいと思います。
1973年8月28日、1979年8月、1982年8月撮影
2001年12月15日製作

初めての訪問は、大学鉄研最初の合宿参加の帰途に福井駅付近で撮影しただけで乗車はしませんでした。ホデハ231形が夕陽を浴びて福井駅を発車したところです。後ろのホデハ11形には楕円戸袋窓の痕跡があります。新福井付近

昭和48年8月28日撮影

上と同じ場所に留置してあったテキ501号電気機関車です。この珍しい形状の機関車を見られたのは幸運でした。後ろの建物の看板には「京福電鉄福井支社」と書かれています。新福井付近

昭和48年8月28日撮影

二度目の訪問では越前本線勝山までの乗車を果たしました。この先大野までの区間は既に廃止されていました。雑多な旧型車が淘汰され、南海からの車両が幅を利かせるようになっていました。勝山駅

昭和54年8月中旬撮影

元南海1200形のホデハ2000形が勝山を発車して福井に向かいます。当形式はこのような二段窓のものと一段窓のものがありました。勝山駅付近

昭和54年8月中旬撮影

勝山からの帰途は永平寺線分岐の東古市で下車し少し撮影しました。永平寺からの福井行きが入線するところです。車両は当線オリジナルの主力であるホデハ251形です。東古市

昭和54年8月中旬撮影

更に福井口で途中下車、車庫を訪ねました。テキ6とテキ521の二両の電気機関車が休んでいました。この辺りの様子は今(運休前)も余り変わらないようです。福井口車庫

昭和54年8月中旬撮影

三度目の訪問では前回印象的だった発坂、比島間のちょっとした山越え区間に行きました。道路と線路の境界が曖昧で味わいがあります。ホデハ241形の福井行きです。

昭和57年8月中旬撮影

永平寺線を行くホデハ241形です。この日本車両標準車体ですが、最近では味わい深いものに感じますが、当時は中途半端に近代的で余り好きではありませんでした。人の感覚は変わりやすいものだと思います。当時は南海の旧型車が来れば良いのに、と思ったものです。

昭和57年8月中旬撮影