初めての関西旅行の時点で既に廃止が決まっていた阪神の路面電車を訪問しました。国道線、北大阪線とありましたが国道線は運転間隔が長かったので割愛し北大阪線を撮影しました。下車した中津付近を除いては特徴の無い路線という印象でした。しかし古い車両はよく手入れされまだまだ使えそうに思えました。また、独特の集電装置は当時既に他では見られない珍しいものでした。
1973年3月10日撮影
2001年10月7日製作

国鉄環状線で野田まで行き路線にアプローチしました。早速1形や金魚鉢が出迎えてくれました。

野田

昭和48年3月10日撮影

様子を眺めていると1形が天六に向けて発車して行きました。西鉄100形などにも通じる昭和初期特有の重厚な私好みのデザインの電車です。

野田

昭和48年3月10日撮影

反対側を振り向くと併用軌道の国道線で本数の少ない電車が到着するところでした。「金魚鉢」と言われたスマートな201形です。

野田

昭和48年3月10日撮影

途中、阪急電車と接続する中津で下車して撮影しました。Hゴム化などよく施される近代化改造が無く、40年以上経年した車両とは思えませんでした。

中津

昭和48年3月10日撮影

左側が複線を三つ並べた阪急電車の線路です。直接式の大きなコントローラーが前面窓から覗いています。

中津

昭和48年3月10日撮影

上と同じ位置から反対側を見たところです。電車の後ろに阪急電車の中津駅ホームが見えます。左の鉄橋は並行する国道のものです。

中津

昭和48年3月10日撮影

野田から併用軌道を走ってきて中津の鉄橋だけが専用軌道になっていました。道路からその 鉄橋に入るところです。周知の通り「天六」とは「天神橋筋六丁目」の大阪式略称です。

中津

昭和48年3月10日撮影

乗客が三々五々待つ中津電停に野田行き電車が到着するところです。平日の日中でしたが乗客は多かったように覚えています。

中津

昭和48年3月10日撮影