初めて東北旅行をした1975年当時、小坂鉄道は日車標準型気動車で近代化されており興味は今一つでしたが帰路の行程に組み込んでいました。時間がなく小坂までは行けなかったので花岡まで往復しましたが、この花岡線が早く廃止されてしまったのでこの時乗っておいたのは正解でした。その後何年も訪問の機会がありませんでしたが、国鉄解体を間近に計画した最後の国鉄乗車旅行の途中ここに立ち寄り、小坂まで往復しました。その時、初めてこの鉄道の大きな魅力に気が付きましたが、旅客列車の廃止まで訪問の機会は一度しか持てませんでした。右上のカットは今は見られなくなった同和鉱業の社紋です。
1975年8月30日、1987年3月23日撮影
2001年5月4日製作
国鉄大館駅で下車し右手に歩くと小坂鉄道の大館駅があります。ホームに出るとDD11形の牽引する貨物列車が停車していました。

昭和50年8月30日撮影

国鉄駅前から市街地へ伸びる大通りの踏切で待っていると先程の貨物列車が駅から出て来ました。手動の遮断機、踏切警手、腕木式信号機の並ぶビームなど私のお気に入りの写真です。

昭和50年8月30日撮影

花岡線の終点、花岡駅に停車中の私が乗って来た列車です。この気動車は6両ありましたが花岡線廃止後は2両が同じ会社の経営する岡山県の片上鉄道に移動しました。

昭和50年8月30日撮影

上と同じ情景を別のアングルで撮影したものです。

昭和50年8月30日撮影

上の列車はその後1両ずつに分割され、1両は構内に留置されました。残りの1両の折り返し列車に乗って大館へ戻りました。

昭和50年8月30日撮影

大館へ戻ると次に乗る奥羽線列車までの待ち時間で小坂行きの列車を撮影しました。背後に初めに見ていただいた信号機のビームが見えます。気動車のすぐ後ろに見える踏切警報器は分岐していく花岡線のものです。

昭和50年8月30日撮影

小坂線茂内駅に到着したDD130形牽引の上り貨物列車です。重連で到着し、補機が解放され転線したところです。この後、私が乗車する下り気動車の前部に解放した機関車を連結して小坂に向かいました。

昭和62年3月23日撮影

雪が残る早春の小坂駅構内の様子です。12年前に撮影したDD11形が休んでいました。

昭和62年3月23日撮影