昭和50年3月に山陽新幹線岡山、博多間が開通しました。それは山陽本線を闊歩していた日中の特急電車群の全廃や夜行の客車特急、急行群の大幅削減を意味しました。特に旧型客車による夜行急行が全廃されることがショックでした。当時単身赴任中だった父の高砂の社宅をベースにそれらを記録するために出掛けた時の写真です。旅客はまさにEF58の天下で、貨物はEF65よりはEF60の活躍が目立ちました。なお、記述した列車名は撮影順序や編成から推測したものですので間違いがあるかも知れません。
1975年1月7、9、10日撮影
2009年2月22日製作

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ようやく陽が当たるようになった7時頃やってきたのは「あかつき5号」でしょうか。流線型量産トップの37番の牽引です。

曽根、宝殿間

昭和50年1月7日撮影

車体載せ替え組ラストの31号機に牽かれてやって来た「雲仙1号」、客車から漏れるスチームが暖かい車内を連想させます。

曽根、宝殿間

昭和50年1月7日撮影

SGの安全弁を噴かせた浜松の3号機が牽引する下り荷物専用列車です。

曽根、宝殿間

昭和50年1月7日撮影

これが「雲仙1号」かも知れません。すると先の列車は?。牽引は下関の12号機。

曽根、宝殿間

昭和50年1月7日撮影

下関の22号機牽引の「雲仙2号」です。

曽根、宝殿間

昭和50年1月7日撮影

EF60一次形の6号機(岡)が牽引する上り貨物列車です。

曽根、宝殿間

昭和50年1月7日撮影

端正なスタイルの98号機(宮)が「日南3号」を牽いて上って来ました。

曽根、宝殿間

昭和50年1月7日撮影

「彗星5号」牽引の54号機(宮)はHゴム前面窓でいただけないスタイルです。

曽根、宝殿間

昭和50年1月7日撮影

20系の「あかつき7号」で上り夜行列車群は打ち止めです。

曽根、宝殿間

昭和50年1月7日撮影

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