以前は気にも留めなかったキハ20系や55系ですが、気がついたらJRからは姿を消し、地方私鉄にわずかに活路を見出している状況になっていました。そんな鉄道に島原鉄道がありますが、訪問当時は雲仙普賢岳の噴火により途中に不通区間があり車両の往来が出来ず、南部に旧型車両が閉じ込められたため南部に行けば効率の良い撮影が出来ました。わずか5年前のことですが、すでにキハ55は無くキハ20も風前の灯と聞きます。
1995年8月10日から12日撮影
2001年1月1日製作

島原鉄道2を見る

南島原の車庫で休む「バス窓」キハ20形。この塗り分けが気に入らずに足が遠のいていましたが、そのような状況でもなくなってしまいました。結果的には訪問して良かったと思っている。背後の山は眉山でこの位置からは普賢岳は見えない。
深江、布津新田間の国道オーバーパスからの眺め。雲が出て普賢岳の姿を隠してしまった。キハ55形。
上と同じ場所の道路築堤下での撮影。国鉄キハ55の同形車だが両運転台である点や空気バネ台車を使用している点が異なる。
有家、西有家間の有明海沿いを走るキハ55形。最終増備車でヘッドライトが2灯になっており国鉄では見られない顔になった。
龍石、北有馬間で鉄橋を渡るキハ55形。上の列車の折り返しで同じ車両である。クーラーが付いているが電源が無いため使用できずに窓を開けて走っている。
北有馬、定光寺前間を走るキハ55形。島原の乱の原城に程近いところ。
終点の加津佐を出発した上り列車。左の山陰が加津佐駅で駅前は海水浴場になっている。関東地方では見られない穏やかな海岸である。
加津佐駅構内が南半部の臨時車両基地として機能しており、キハ20や55が休んでいた。後ろの山が前の写真左手の山の裏側になる。この左が駅本屋、右が海水浴場である。

 島原鉄道2を見る