今も健在な富山地鉄の富山市内線は最近も含めて結構訪問しています。今回は最初と2回目の訪問時の写真をご覧いただきます。当時から主力の7000形は今も健在なのは喜ばしい限りです。また、郊外の射水線再生策として市内線国鉄富山駅前までの乗り入れが行われていましたが、訪問後間もなく射水線そのものが廃止となってしまいました。JR富山港線のLRT化も決まり、当線も活性化に向かう事を期待したいものです。
1973年8月25日、1979年8月8日撮影
2005年11月20日製作

最初の訪問は大学1年夏合宿参加のため集合の金沢へ向かう途中でした。上野からの臨時夜行を降りて撮影した電車は乗客も疎らでした。地鉄ビル前付近

昭和48年8月25日撮影

近くの踏切で国鉄と地鉄を撮影後の市内線は乗客もだいぶ増えていました。地鉄ビル前付近

昭和48年8月25日撮影

二度目の訪問は射水線主体となりました。全線乗車し、途中の車庫もある主要駅四方で降りてみました。3両編成はこの手の路線では長大編成と言えます。四方駅

昭和54年8月8日撮影

車庫の様子です。車両は全て同形でしたが細部が異なっています。四方駅

昭和54年8月8日撮影

国鉄富山駅前を出た7000形です。基本的に現在も変わりませんが当時は高層建築が見当たりません。富山駅前

昭和54年8月8日撮影

富山駅前電停に到着する射水線から直通の5000形です。射水線内は3両編成でも市内直通は1両のみだったようです。富山駅前

昭和54年8月8日撮影

射水線直通の5000形が富山市内を走行中です。ワンマンではなく車掌が乗っていました。諏訪川原付近

昭和54年8月8日撮影

都電8000形をモデルにしたと言われる7000形ですが、耐用年数も準拠したとすれば今も健在である事は驚異的です。丸の内付近

昭和54年8月8日撮影