鶴見線は工場地帯の私鉄買収線区として独特の雰囲気を持っていた国電路線でした。他では見掛ける機会が減ってしまった17メートル級国電が活躍していた時代に2回訪問した時の写真をご覧いただきます。新型電車になってからは残念ながら訪問の機会がありません。

その後、72系電車になってから1回訪問したときの写真が出て来ましたのでPage2として追加します。

1971年11月21日、1972年7月21日、1978年9月10日撮影
2008年8月2日製作

2009年5月24日Page2追加

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沿線からの写真が撮りたくて工場地帯に入る前の鶴見小野駅で降りてみましたが、見通しの利く場所はありませんでした。下町風情の踏切を通過するクモハ11(モハ31改)です。鶴見小野駅

昭和46年11月21日撮影

その代わりに、鶴見小野駅のホームでは良い光線で形式写真を写せました。クハ16(クハ65改)先頭の扇町行きです。鶴見小野駅

昭和46年11月21日撮影

上の列車とはTとMの位置が逆です。向きが変わる運用があったのでしょうか。クモハ11(モハ50改)先頭の海芝浦行きです。駅の構造が元私鉄だったことを窺わせます。鶴見小野駅

昭和46年11月21日撮影

終点のひとつ、海芝浦で降りてみましたが、本当に工場の門しか無く、駅の隅から写真が撮れるだけでした。クモハ11(モハ31改)の列車を写しました。海芝浦駅

昭和46年11月21日撮影

2回目は弁天橋の電車区を横の道路から覗いてみました。右のクハ16(クハ65改)は埋め込み式の前照灯が残っています。弁天橋電車区

昭和47年7月21日撮影

この日は一通り全線に乗車しましたが、駅間で走行写真が撮れる場所はほとんどありませんでした。新芝浦、海芝浦間

昭和47年7月21日撮影

72系化された後も17メートル級クモハ12が残った大川支線です。折り返し大川駅を発車する電車です。大川駅

昭和47年7月21日撮影

工場地帯だけあって、貨物列車もよく見掛けました。電気機関車も入って来ましたが、電車を待っているとDD13の重連が来たのでシャッターを押しました。浜川崎駅

昭和47年7月21日撮影

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