じっくりと追究したい線区でしたが廃止前の狂乱ぶりを敬遠したために訪問回数の割にはきちんとした写真を撮影しないうちに終ってしまったのが残念です。最初と二回目の訪問で撮影した写真をご覧いただきますが、当時は客車列車や貨物列車も走っていました。それにしても、アブト式の時代を一目見たかったといつもの詮無い感慨に耽ってしまいます。
1974年8月31日、1975年10月19日撮影
2004年11月28日製作

最初の訪問は木曽での鉄研合宿の帰途でした。特急「あさま」の181系もバックに写る矢ケ崎変電所建屋もこの後間もなく見られなくなりました。旧矢ケ崎信号場付近

昭和49年8月31日撮影

上り貨物列車が速度を抑えつつ下り坂にかかるところです。上り客貨車列車はEF62の前にEF63が付くので絵になりました。旧矢ケ崎信号場付近

昭和49年8月31日撮影

軽井沢を出て横川へ向かう上り電車急行です。この頃はサハシのビュッフェも営業中でした。旧矢ケ崎信号場付近

昭和49年8月31日撮影

上り特急「白山」は新製間もない非ボンネットの489系でした。EF63も増備が続いていた時代です。旧矢ケ崎信号場付近

昭和49年8月31日撮影

2回目は鉄研の日帰り撮影会、この時は3台の車に分乗しての撮影でした。下りローカル客車列車も健在でした。後ろのEF63が白っぽく見えるのは遵法闘争スローガンが書かれているためです。旧丸山信号場、熊の平間

昭和50年10月19日撮影

これは上りの普通列車です。この19年後、我が鉄研OBと現役が協力して旧型客車により貸切列車をこの区間で運転したのも懐かしい思い出となりました。旧丸山信号場、熊の平間

昭和50年10月19日撮影

被牽引車両が写っていませんが、上り貨物列車です。重い機関車を3両も載せるには華奢な橋に見えてしまいます。旧丸山信号場、熊の平間

昭和50年10月19日撮影

この日の最大目的だった上り臨時急行「妙高」です。当時この線区に限らず客車の昼行優等列車は注目の的でした。熊の平

昭和50年10月19日撮影