大学4年の夏合宿は高知、松山で行われました。私にとって初めて四国に足を踏み入れる経験となったこの旅行には紀勢本線に乗って和歌山県内の私鉄を訪問してから向かいました。高知現地集合の1日前に払暁の宇高連絡船で四国入りし、ここ予讃本線国分駅付近で撮影した一連の写真が四国での初めての撮影となりました。架線の無い複線の本線を快走するディーゼル列車の数々を堪能することができました。ただ、寝不足に弱い私の体調は急激に上昇する気温のためこの時最悪の状況にありました。前夜は大阪から夜行の急行「鷲羽」に乗り、深夜乗り継ぎの宇高連絡船だったので実質2時間程度の睡眠しかとれなかったのです。この場所を選んだのは新しい道路の高架下で日陰になっていたからなのです。
1976年8月23日撮影
2001年4月21日製作

上り普通列車。各系列の混合編成でこの頃は各地の気動車列車に見られた。お客はよく知っており、この列車の場合2両目のキハ55が最も混雑しているはずだ。
DF50の牽く上り高松行き通勤通学輸送力列車。先頭の客車は元特急用スハ44改造のスハフ43形で車内は改造後の転換クロスシートのままだったと思う。片側デッキのままなので中で座っている客は高松に着いても降りるまで時間を要しただろう。
当時の時刻表を見ると朝8時前後にDFの上り客車列車が4本連続して高松に向かって走っていたことが判る。内2本は土讃線からの列車である。
上りがあれば下りもある訳でこれは下り列車。車内は空いていると思われる。次々と来るので変わった写真をと思い流し撮りを試してみた。
四国独特の文字だけの丸形ヘッドマークを付けた急行列車も沢山走ってきた。伊予西条を6時半に出た上り「いよ1号」。
下りの「うわじま4号」まだ8時半なのに「うわじま」はすでに3本も走っている。1号は夜行で深夜0時半、2号3号は連絡船接続で朝5時台に高松を出ている。
まだ走り始めて間も無いころのキハ181系による特急「しおかぜ1号」下り宇和島行き。予讃本線の1D列車である。これらの気動車特急が走るまで四国には特急が走っていなかった。バックの小山が讃岐地方らしさを感じさせてくれる。日陰を提供してくれた道路橋が見える。
一通り撮影して高松駅に戻ると「うわじま5号」が発車待ちをしていた。