その2 静岡県
日本の大動脈「東海道本線」。振り返ってみると結構あちこちで撮影しているのに我ながら驚いています。機関車牽引列車を中心に70年代に撮影した写真を中心にご覧いただきたいと思います。数ページに分けて区間ごとに東京から下る感じで順次アップしてまいります。今回は静岡県内で撮影した写真を集めてみましたが、同じようなアングルの写真ばかりになってしまいました。
1973年9月から1978年7月の間に撮影
2002年1月26日製作

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正月の休みに関西へ旅行した帰途、急行「銀河」を富士で下車して上ってくる寝台特急を撮影しました。東田子ノ浦から開けた場所を求めて東へ歩きましたが良い場所が見つからず、住宅の間での撮影となってしまいました。ようやく冬の朝日が当たるようになった頃、上り普通電車の80系がやって来ました。東田子ノ浦、原間

昭和50年1月10日撮影

EF66が似合わない一般貨物列車を牽引してやって来ました。次位には無火回送のEF60が連結されています。東田子ノ浦、原間

昭和50年1月10日撮影

20系での運転を間も無く終えようとしている特急「富士」です。ヘッドマークや客車の下回りに着いている白いものは前夜に関ヶ原で降っていた雪の名残です。65P形と20系のきれいな写真が撮れて関西旅行を締めくくることが出来ました。東田子ノ浦、原間

昭和50年1月10日撮影

静岡鉄道を撮影していた時に並行する東海道本線を撮影しました。EF60形500番代がワキで編成された高速貨物列車を牽いているのが撮影できたのは幸運でした。511号機です。手前の複線が静岡鉄道線です。清水、草薙間

昭和48年9月1日撮影

ブルートレインの牽引機がEF65のP形からPF形に変わると言うのでP形最後の活躍を写そうと日の長い時期に菊川まで遠征しました。友人の車で未明に現地入りし、ようやく陽が当たるようになった頃、側面鎧戸に特徴のあるEH10形の51号機が貨物列車を牽いて上ってきました。菊川、金谷間

昭和53年7月下旬撮影

お目当てのP形が「あさかぜ」を牽いてやって来ました。この時既に客車は24系に変わっていました。考えてみると24系とP形の組み合わせは意外と短かったことに気付きます。右下に見えるトラス構造物は新幹線の架線です。菊川、金谷間

昭和53年7月下旬撮影

牽引機の交代は意外と早く、雑誌情報よりも早くPF形が既に運用に付いていることを知りました。期せずして新旧の牽引機を一度に写せましたが目的はF形だったので複雑な心境でした。上り「はやぶさ」です。菊川、金谷間

昭和53年7月下旬撮影

特急コンテナ貨物列車を牽引するEF66もやって来ました。後にはこのEF66が寝台特急を牽引するとは想像もしませんでした。前位パンタグラフの後ろの丘にはお茶の木で「小笠茶産地」の文字が右から書かれています。その上の白い看板3枚には「静岡県」と書かれています。菊川、金谷間

昭和53年7月下旬撮影

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