その3 愛知県、岐阜県
日本の大動脈「東海道本線」。振り返ってみると結構あちこちで撮影しているのに我ながら驚いています。機関車牽引列車を中心に70年代に撮影した写真を中心にご覧いただきたいと思います。数ページに分けて区間ごとに東京から下る感じで順次アップしてまいります。今回は愛知、岐阜県内で撮影した写真を集めてみましたが、15から16歳のころの撮影のため見苦しい写真が多くなってしまいました。
1970年4月から1971年3月の間に撮影
2002年2月3日製作

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新所原から東海道本線に乗り入れ豊橋まで直通する二俣線の朝の通勤列車です。オリンパスペンとリバーサルカラーの撮影です。逆光でもあり見苦しいですが煙に免じてご容赦下さい。このころは東海道筋でもあちこちで煙が見られました。C5820号の牽引です。二川、豊橋間

昭和46年3月17日撮影

4両しかない1次形のEH10が上り貨物列車を牽引して豊川橋梁を渡って来ました。この画像では判りませんが、1号機です。西小坂井、豊橋間

昭和45年7月21日撮影

上り荷物列車を牽引するEF58形です。この機関車のサイドビューはいつ見ても美しいと思います。この場所は白井良和氏がサイドビューを撮影される場所だと思います。西小坂井、豊橋間

昭和46年3月17日撮影

当時東海地方の東海道本線ローカルの主力だった80系電車ですが、正面3枚窓の1次形クハ86形も走っていました。名古屋駅に停車する下り列車の後部です。名古屋駅

昭和46年3月14日撮影

稲沢操車場へ向かうのでしょうか、小運転の貨物列車がD51形に牽かれてやって来ました。現在大阪の交通科学博物館に保存されている2号機で、当時は稲沢第一機関区の所属でした。後ろの高架は新幹線の線路です。枇杷島、清州間

昭和45年9月20日

飯田線や身延線で急行運用する編成でしょうか、全金車の4両編成が東海道本線を走ってきました。乗客がいないように見え、ヘッドマークをメクラにしているので大垣からの回送でしょうか。岐阜、木曾川間

昭和45年4月上旬撮影

EF58形93号機の牽引する上り荷物列車です。この頃は編成中に貨車もどき荷物車が見られず旧型客車ばかりのすっきりした姿です。右端に木曾川橋梁のトラスが見えます。岐阜、木曾川間

昭和45年4月上旬撮影

コンテナを含む種種雑多な貨車で編成された原点のような貨物列車です。見ただけで非効率さが判りますが、当時は日常の光景でした。EF60形牽引の上りです。岐阜、木曾川間

昭和45年4月上旬撮影

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